先生
教師、弁護士、議員など「先生」と呼ばれる人は多い。かくいう私も先生と呼ばれる笑。
アルバイト先の水泳教室で小学生を教えているときは「コーチ」と呼ばれる。
肩凝り腰痛改善の教室に入るときは「先生」と呼ばれるのだ。
私からすると人生の先輩である高齢者の方に親しみを込められ先生とよばれるのは畏れ多い気分でもあるが、かなり嬉しい気持ちもある。
俄然メニューも新しいものを考えますし気合の入りようもちがう笑。
すごく単純なのだ。同級生や年の近い人に言われたことはあまり鵜呑みにはしないが、何故か私の教室の高齢者が言うことはすんなり受け入れられる。
いったいなにがちがうのだろうか?恐らく私の中では高齢者の方はストレートにものをいうことが若者に比べて比較的多いのではないかと思う。(良くも悪くも空気を読まない?)
人間て不思議なものだ。例えば、嫌われようと思えば暴言を吐けばすぐに嫌われる。しかし、人から好かれようとするとそう単純ではない。かなり嫌われるのと比べて難しいと思う。
だがその難しいプロセスを超えて分かり合えたならそれは長く持続すると思うし、きっと良き仲になれるだろう。
だからこそ、面倒くさくてもしんどくても、分かり合おうとするのだろう(たぶん)。
好きの反対は無関心というが、恐らくストレスのたまるやつと対峙したら無関心なんて可愛いものだと思う。
癒してくれる人、物は偉大だ。